2014年05月10日
必要に応えようとする時代
昨日は勉強会でした。
今の時代は、「必要に応答しようとする」時代なのだと教えてもらいました。
たしかにそうかも、と思いました。講師仲間で、一人の人が「セミナーするんだけど、いい会場知りませんか?」と問えば、すぐにfacebookで応答がやってきます。「プロジェクター買おうと思うんだけど、どういう機種がいいですか」という問いにも、何人もの人が、「これがいいよ」「最初なら、このぐらいがいいかも」などと、答えてくれます。みんなやさしいのですが、「やってあげるよ」的なこともなく、まるで息を吸うかのようにさりげないのです。
誰かが困っているという状況に、人類はだんだん耐えられなくなりつつあるのだそうです。なんと、すばらしい進化でしょう!
それは、東北の大震災以降、特に顕著になってきている傾向なのです。世界中の多くの人が、東北の求めに応じて、動いていきました。つらく厳しい経験が、少しでもいいことに生かされているのなら、まだ救われる気持ちがします。
だから、自分にできることはやりつつも、困ったことがあったら、「困ってる」と手を挙げることが大事ですね。応えたいという人を喜ばすことができるのですから。
助け合うよろこび
今の時代は、「必要に応答しようとする」時代なのだと教えてもらいました。
たしかにそうかも、と思いました。講師仲間で、一人の人が「セミナーするんだけど、いい会場知りませんか?」と問えば、すぐにfacebookで応答がやってきます。「プロジェクター買おうと思うんだけど、どういう機種がいいですか」という問いにも、何人もの人が、「これがいいよ」「最初なら、このぐらいがいいかも」などと、答えてくれます。みんなやさしいのですが、「やってあげるよ」的なこともなく、まるで息を吸うかのようにさりげないのです。
誰かが困っているという状況に、人類はだんだん耐えられなくなりつつあるのだそうです。なんと、すばらしい進化でしょう!
それは、東北の大震災以降、特に顕著になってきている傾向なのです。世界中の多くの人が、東北の求めに応じて、動いていきました。つらく厳しい経験が、少しでもいいことに生かされているのなら、まだ救われる気持ちがします。
だから、自分にできることはやりつつも、困ったことがあったら、「困ってる」と手を挙げることが大事ですね。応えたいという人を喜ばすことができるのですから。
助け合うよろこび