2014年03月24日
面倒くさいが、面倒を呼び、つまらないになる
面倒くさがりの人というのは、結構いるでしょう。わたしも、面倒なのは嫌いな方です。最近、愛犬ピースが、シニアになってきて、スリッパをくわえないようになったため、リビングでスリッパを履くようにしていますが、これがかなり面倒です。
履き脱ぎが面倒くさい。しかも、昔半月板を損傷したことがあって、春は膝が痛むため、膝に負担の少ないルームシューズにしたため、これがさらに、面倒を呼びます。もはや、修行のように履いたり、脱いだりしています。
面倒だと思えば、思うほど、何もかもが面倒になり、つまらなく思えてきます。そもそも、生きることはなかなかに面倒なことだからです。嫌なこと、避けたいことは迎え撃て、そう自分に命令して、面倒なことを自分からやろうとしています。ちょっと面倒なことも、自分から、やろうと決めると、嫌さが減っていきます。ていねいに暮らそうという気持ちがそこにはあります。
ていねいに生きるということは、面倒に思えることを、一つ一つ嫌がらず、はしょらずにやることです。料理でも、掃除でも、事務でも、わたしのようにスリッパのような、たわいのないことでもいいので、何か面倒なことを、一つ一つていねいにやってみると、生きることが楽しくなってきます。
ネットや業者やコンビニを駆使すれば、楽できる時代です。ところが、楽しようとすればするほど、楽しさが減るのです。なんと皮肉なことでしょう。
楽しく生きたいと思うなら、面倒なことを、覚悟して面倒くさがらずにやってみてはどうでしょう?
履き脱ぎが面倒くさい。しかも、昔半月板を損傷したことがあって、春は膝が痛むため、膝に負担の少ないルームシューズにしたため、これがさらに、面倒を呼びます。もはや、修行のように履いたり、脱いだりしています。
面倒だと思えば、思うほど、何もかもが面倒になり、つまらなく思えてきます。そもそも、生きることはなかなかに面倒なことだからです。嫌なこと、避けたいことは迎え撃て、そう自分に命令して、面倒なことを自分からやろうとしています。ちょっと面倒なことも、自分から、やろうと決めると、嫌さが減っていきます。ていねいに暮らそうという気持ちがそこにはあります。
ていねいに生きるということは、面倒に思えることを、一つ一つ嫌がらず、はしょらずにやることです。料理でも、掃除でも、事務でも、わたしのようにスリッパのような、たわいのないことでもいいので、何か面倒なことを、一つ一つていねいにやってみると、生きることが楽しくなってきます。
ネットや業者やコンビニを駆使すれば、楽できる時代です。ところが、楽しようとすればするほど、楽しさが減るのです。なんと皮肉なことでしょう。
楽しく生きたいと思うなら、面倒なことを、覚悟して面倒くさがらずにやってみてはどうでしょう?