2013年11月07日
議論力をつけよう
東京でのセミナーは、考え、議論し、発表し続けた4日間でした。
だんだん手を挙げることも平気になって、間違えてもいいから考えを表現すること自体が楽しかったです。
今日の朝日新聞夕刊に「透明な壁にぶちあたった」という記事がありました。
宇都宮高校英語部の男子たちが、ディベート(議論)の世界大会に行って、まったく太刀打ちできなかったということです。
「透明な壁にぶちあたったみたいでした」
「これまでとは違うステージに立たされた。相手にぶつかりたいのに、ぶつかれない」
1勝7敗で、それでも日本の子たちが1勝したのは、快挙なのだそうです。
「外国の高校生たちは議論するのが当然、主張するのが当然、という感じだった。でも僕らは日本でふだん、議論する必要がない。へたに議論しようとしたら煙たがられてしまう」
「英語部の中で議論するのはいいけど、教室でやったら友だちがいなくなる」
彼らのコメントです。
日本では、議論すること、意見を言うことをうざく思われたり、生意気だと思われてしまう。
だから、意見を言わなくなる。
そのうち、意見がなくなってしまう。
「皆さんはいかがでしょうか」
と、空気を読んで動くだけになる。
議論できないことが、世界でわたり合えないという意味だけで、問題なのではありません。
人は、本来自分を表現するために生きている。
とても自然なことなのに、それを封印されるとしたら、
「生きるな」と言っているのと同じことです。
コスモスに、「花を咲かせるな」と言っているようなものなのですから。
自分たちもそうだ。
意見なんか、よくわからない。
そういう方も、子どもたちが自分の意見を言うことを許してあげてほしいのです。
わからないから、イライラして、「うるさい」と怒らないでほしいのです。
「そんな風に考えているんだね」ときいてあげてください。
意見を言わないように育てられてしまった大人たちも、少しずつ練習してもいいのではないでしょうか?
最初は、他の人の意見に、「わたしもそう思う」と1票入れるのでもいいでしょう。
多数派に入れるのではなく、自分がいいと思う意見に入れるのです。
他の人と違っていても、いいのだということを、ご自分にも、子どもさんにも教えてあげてください。
咲かそう
だんだん手を挙げることも平気になって、間違えてもいいから考えを表現すること自体が楽しかったです。
今日の朝日新聞夕刊に「透明な壁にぶちあたった」という記事がありました。
宇都宮高校英語部の男子たちが、ディベート(議論)の世界大会に行って、まったく太刀打ちできなかったということです。
「透明な壁にぶちあたったみたいでした」
「これまでとは違うステージに立たされた。相手にぶつかりたいのに、ぶつかれない」
1勝7敗で、それでも日本の子たちが1勝したのは、快挙なのだそうです。
「外国の高校生たちは議論するのが当然、主張するのが当然、という感じだった。でも僕らは日本でふだん、議論する必要がない。へたに議論しようとしたら煙たがられてしまう」
「英語部の中で議論するのはいいけど、教室でやったら友だちがいなくなる」
彼らのコメントです。
日本では、議論すること、意見を言うことをうざく思われたり、生意気だと思われてしまう。
だから、意見を言わなくなる。
そのうち、意見がなくなってしまう。
「皆さんはいかがでしょうか」
と、空気を読んで動くだけになる。
議論できないことが、世界でわたり合えないという意味だけで、問題なのではありません。
人は、本来自分を表現するために生きている。
とても自然なことなのに、それを封印されるとしたら、
「生きるな」と言っているのと同じことです。
コスモスに、「花を咲かせるな」と言っているようなものなのですから。
自分たちもそうだ。
意見なんか、よくわからない。
そういう方も、子どもたちが自分の意見を言うことを許してあげてほしいのです。
わからないから、イライラして、「うるさい」と怒らないでほしいのです。
「そんな風に考えているんだね」ときいてあげてください。
意見を言わないように育てられてしまった大人たちも、少しずつ練習してもいいのではないでしょうか?
最初は、他の人の意見に、「わたしもそう思う」と1票入れるのでもいいでしょう。
多数派に入れるのではなく、自分がいいと思う意見に入れるのです。
他の人と違っていても、いいのだということを、ご自分にも、子どもさんにも教えてあげてください。
咲かそう